あれから10年…. その2

この間書いた あれから10年… の続きです。

ここから先は書いたことがないのですが、覚えている範囲で….
おそらく取り留めもない書き方に鳴ると思いますがご容赦を….

先日の投稿に際し質問頂いたこともあるので、それは今度纏めてお返しします。

確か非セミノーマの奇形種と聞いてから一旦退院して、お盆明けに再度入院したと思います。退院している間は自宅でボケーッとしてました。特に何もせずというか、しばらく家に帰れないので書類の整理などしてたかな

再入院後は、体調の観察の為に血液検査を2日に1回されてました。しかも、明け方4時寝てる時夜勤の看護婦さんが取りにくるのですね。外来の検査の前に全部検査に回すのでしょう。初めは目が覚めてましたが、慣れたら採血されても気付きませんでした。

BEP療法

精巣腫瘍は以前は死亡率が割りと高いがんでした。しかし、シスプラチンと言われる白金製剤の登場で生存率が格段に改善されました。このシスプラチン腎臓に対しての毒性が強いことと吐き気が強いことで知られていました。よくドラマなんかで抗癌剤って髪の毛抜けるのと吐きまくっているって感じですよね。あの吐き気です。

しかし、腎毒性についてはマンニトールなどの利尿剤の投与で体外に早く排出させることで改善し、また、吐き気が強いことについてはカイトリルといった優れた制吐剤の登場で劇的に改善しました。先に書いておきますが、この制吐剤のお陰でみなさんにはびっくりされますが、私1回も吐いてません。

BEP療法は、次のように進みました。

  • 3種の薬を1クール21日で投与
  • 初めの5日間は点滴を入れっぱなしでシスプラチンとエトポシドを点滴
  • 2日目9日目16日目(私の場合は毎週火曜日でした)はブレオマイシンの筋肉注射
  • がんが不活性になったと思われる時点で終了(最終的には3クールやりました)

これに加えて赤血球数の減少に伴い鉄剤を適宜飲んだのと、白血球数の減少(いわゆる好中球減少)によりグランというG-CSF製剤の投与もありました。

抗癌剤って思ったほど苦しくなかったという印象ですが、耳毒性によるある後遺症の件で今も実は苦しんでます。これも副作用なのですが、男なので気にはしないと思っていたのですが、髪の毛がドラマのように抜けるのはショックでした。おそらく1クールでシスプラチンの投与が終わって数日してからですかね枕の上に髪の毛がパラパラと落ちてくるのです。手で引っ張るとするする抜けます。毛がなくなるまでの数日間はガムテープで髪の毛を取りまくってました。一応抜け始めた時全部病院内の理容室で刈りました。で、しばらくバンダナ巻いてました。

初めの5日間の点滴の時はシスプラチンの投与が終わってしばらくして超強力な利尿剤が投与されました。これ、とてつもなく強力で5分おきにトイレに行くことになりました。面倒なので導尿を依頼する人もいるそうですが、自分としてのQOL維持というか意地というかそれは最後までしませんでしたので、しばらくトイレに篭ってました。

各クールの間に白血球数の回復が良くなかったので、1週間何もない期間が間にはいりましたので、1クール通常は3週間だったのが4週間になっちゃいましたね。また退院伸びるのかなあと思ったり、正月は病院かなと思ったり…

副作用の話

当たり前ですが、個人差がありますして出る場合と出ない場合がありますので参考までに…

吐き気
制吐剤により吐き気は改善されたと書きましたが、他の罹患者に会って聞いたこともありますが、結構皆さん吐きまくっているそうです。中には胃液が出るまで吐いてた人もいましたし…
私は抗癌剤が始まってから病院食の匂いで吐き気がするようになったので、スパっと食べるの止めました。で、全て病院の売店のお弁当やコンビニ弁当に食べてました。これは時期や地域限定なのかもしれませんが、この年阪神が優勝したんです。それだけ盛り上がっていたのですが、4人部屋の同室の仲良くなったおじいちゃんが病院を抜け出し、病院の外のコンビニにスポーツ新聞を買いに行くのですね。その時に、色々頼んだりしてました。あと、一部期間(なぜ一部期間かは後述)は嫁さんに弁当を買って来てもらったのと、何故か抗癌剤している最中にキムチが食べたくなって、冷蔵ロッカーに常に通販で買った白菜キムチと梅干しのキムチを入れてました。おそらく周りの患者さんはドン引きだったと思いますが、私も生きてくために必死でしたので… 笑 このような方法で少しは食欲が落ちたものの一度も嘔吐せずに乗り越えました。 痩せましたけどね。一番痩せてたときは65キロくらいかな。点滴していて水分を含んでる割には軽いと思いますよ。

耳毒性
シスプラチンには耳毒性があることが知られています。これにより薬剤性難聴になる可能性があるのです。で、私も2クールの途中くらいからなってしまいました。初めは耳が詰まったとおもったので、滲出性中耳炎かと思い耳鼻科を受診したのですが何もなく、そのうちに耳鳴りがするようになり、その耳鳴りの音域にかぶる高音域が聞こえにくくなりました。セミの鳴き声が耳鳴りにかぶって殆ど聞こえません。今年はほんのすこしだけ聞こえたんですけどね。今でも耳鳴りはしてます。メニエール症候群などとは違い、もう治ることのない病気です。薬やめたらもちろん改善したんでしょうけど、命がなくなっちゃいますから…
他の患者さんは、耳にティッシュをかぶせたような感じだったと言われていた方もいました。

高熱
2日目、9日目、16日目にブレオマイシンを筋肉注射されるのですが、その日の夜は悪寒がしたあと、40度くらい熱が出ました。で、翌朝には普通に平熱に戻っているという。なので、毎週火曜日は憂鬱でした。他の患者さんに聞いたり、闘病記を見ましたが、ほとんどの方は発熱しているようですね。

肺線維症
これ、ブレオマイシンの副作用ですが、大量に投与するとなるようです。肺が硬くなっちゃうそうですが…
この時の投与では症状は出なかったのですが一定の投与量を超えるとリスクが高いそうですので、もしも再発した際には総投与量に気をつけなければならないとのことです。

白血球数減少
主に6日目以降からでしたが抗がん剤を投与すると、がん細胞に関係ないものも攻撃するようですが、白血球も減少するそうです。それを増やすため遺伝子組み換え製剤(G-CSF製剤)を注射するのですが、これした後に、白血球が作られる骨髄がうずくんです。あり得ないくらいに。ただとても優れた薬なので数日で劇的に増えました。大きな声では言えないのですが、これで白血球数が増えたのをいいことに病院抜けだして食べちゃダメと言われてたなまものを食べにスシローに行きました。あと、点滴をしてないときにガストに行ってハンバーグをビールを….

あと、抗がん剤やってる時、当時の嫁さんが現実を受け入れられなくなって、長崎の実家に帰っちゃいました。しばらくして戻って来ましたけど、これが別れる一番の原因です。親にも心配かけちゃいけないので、点滴台引きながらコインランドリーで洗濯もやってましたよ。洗い物も多くないのでそんなに頻繁では無かったですけどね。

こんなふうに3クール約3ヶ月で終えまして、ちょっとお休みしてから次の手術に進むわけです。

その3に続く